(要約)
日本と中国は、それぞれ自国の見方で、相手をみている。そのため、相手の行動の真意を理解することができず、問題が生じている。しかし、感情論や政治体制、経済統計に終始した本が多く、意外とビジネスに根差した大きなパラダイムを提示する本は、皆無である。
そのため、従来盛んであった文学、文化人類学の枠組みを
用いながら、ビジネス、経営の問題に有用な論理体系を構築する必要がある。
中国関係の大量の本を読んで感じたことがある。
多くの本は、本も表面的なことや目に見えることを取り上げていると
感じた。
例えば、中国人観光客が銀聯カードで大量購買すること、
中国人と日本人の企業家精神の違い、
政治や経済の体制など現象のみを取り上げてきている気がする。
マスメディアの取り上げ方の多くは、日本的考えで外国の現象を
読み解くことに終始している。
そもそも、多くのマスメディアは、広告の収入源に活動している。
そのため、国民の多くの人の理解しやすく、視聴率の取れるコンテンツに
重視する傾向は、構造上いたしかたないことである。
しかし、近年中国と日本の経済分野の連携が活発になってきた以上、
両国が従来のお互いの見方でいると大きな問題となるであろう。
東洋と西洋人を比較すると大きな違いを発見することになる。
個人主義や食事、人種など顕著な違いを発見することができる。
しかし、中国と日本は、同じ漢字文化であり、儒教文化である。
そのため、両国とも両者の行動を逆に理解することが困難となっている。
例えば、西欧人と日本人を比較すれば、文化差は、顕著に表れるので、
両者が貿易、商売、文化交流をするうえで、
その違いを学び、互いの文化を尊重する方向に進むであろう。
しかし、日本とアジアの国は、文化の源が同じという認識であれば、
相手の行動が自分を苛立たせることを望んでいるかの様に思えることがある。
例えば、日本人が中国人にお土産を渡したとする。
日本人の風習では、お土産は、お菓子など安価なものの場合が多い。
しかし、中国でお土産を送る際は、金額やモノによって、
自分から相手への重要度を示す手段となりうる。
したがって、相手を重要と考えるならば、日本人は、
それに相当する中国人の嗜好に合った製品を買う必要がある。
このように同じ儒教ブロックや漢字文化圏に所属している両国は、
このような違いを両者が認識して考える必要がある。
従来、日本が西欧諸国と交流を深めるにあたって、
相手の国の文学などの書物を翻訳して研究してきた。
西欧諸国、特に、アメリカは、論理的枠組みの本を世界に
発信するのに優れていたので、その方法である程度成功を収めてきた。
しかし、日中間を考えるとこの取り組みだけでは、不十分である。
日本と中国の交流の歴史は、非常に長いので文化的蓄積(儒教、漢字)などの
古代、中世の歴史や思想の歴史を学びの蓄積は、十二分にある。
しかし、文学の研究とビジネスを体系的にまとめた本がない。
数百冊捜してきたが、見つけることができなかった。
おそらくないのだろう。
西欧の本を翻訳して、日中間の差異を認識することは、難しいので、
日本自国で枠組みを試行錯誤して、構築していく必要がある。
なぜ、西洋の本(日中関係)の本を翻訳をみても、
差異を認識するのは、困難を伴うのだろうか?
それは、西欧からみた日本と中国の文化差は、
それほど大きくないからである。
そのため、本を翻訳しても類似点ばかりが目につく
必要がある。
日本は、暗黙知やあいまいさをうまく利用した文化であるが、
中国やアジア諸国が台頭する今、従来盛んであった文学、文化人類学の枠組みを
用いながら、ビジネス、経営の問題に有用な論理体系を構築する必要がある。
これから、私はこれをテーマに研究していこうと思う。
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